【本物の優しさ】優れたひとしか出せないもの

暑いですねー。いやーほんまにあっついですねー。史上最強っす。いやー涼しくなれって、祈りたくなりますね~ 🙂
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さて。先週末、人の優しさに触れることがありました。
フルーツにも優しさが フルーツにも優しさを感じますね!
優しいという単語を紡ぎだす「優」という漢字は、「優れる」という単語にもなります。籾倉的な解釈では、

優しいということは、優れているということ。
もう少し踏み込むと優れていないと、優しくできない。

という理解だったりします。 🙂
お金や名誉ではなく、本当意味で磨きがかかった心根が余裕を生み、その優しさを紡ぎだすんだろうなーって。たとえば、そういう考えを持っている人は、めちゃくちゃ前向きだったりします。絶対に人のことを悪く言わないし、決してマイナスの言葉を発しない。そういう力を持っているある意味逸材ですね。
逆に、いまこの文章を読んで「私は優しいから優れてるんだ~」って思った人は、ちょっとだめかもです… 🙁
本当に優れている人は、こういう文章を読むと「そうなんだぁ私はまだまだですね。」って謙虚に言葉が出てきますね。物事をの本質とは、そういうものなんだと気付かされた週末でした。