人をすぐに信じることの危うさ

僕は、人をすぐに信じすぎるところがある。


初対面って当たり前だけど、ほとんどの場合、いいところしか見えてない…。
だけど、問題が起こった時に対処するスタンスはもちろんのこと、言い方やタイミングのはかり方のセンス違いで違和感を感じたときには時すでに遅し。


あれ?あれ?あれ?信じよう、信じよう、頑張ればなんとかなる、挽回できる、こんな人じゃない、絶対…あれ、やっぱりおかしい…うん?うん?うん?
そんなことが3回続くと、たいていうまくいかない…。


こんなはずじゃなかったのに、やっぱり駄目だったか…みたいな時って深く悲しい気持ちになるので、最初に接点を持つときの持ち方を科学することが大切かもなぁ。特に組織同士の付き合いかたは、個人的なものだけではなく、現場と現場の相性まで広がるから、これまた難しい。現場はイケてるのに、幹部同士、代表同士がちょっと…とか、逆にトップ同士は悪くないのに現場での検討に入った途端ダメになるとか…。


採用の失敗、大規模なシステム開発の失敗、アライアンスの失敗、業務委託の失敗、営業の失敗などなど、多岐にわたる…。うまくないなー、下手すぎる。あかん、これじゃ。


信じすぎるというよりも、可能性を考えるのが好きすぎるから、夢を見すぎるんだろうなー。Realistな自分になるべく精進しないとな。そう考えると、今の自分と一緒に仕事に取り組んでくれている武将達は、外様的な付き合い方の外人部隊も含めて「異を唱えるのがうまい」メンバーが多い。


いつもはそれを理想を完遂するための抵抗勢力という視点でのとらえ方が多かったけど、ある意味ありがたいのかもな。大切にしないといけない。

年収と幸せ度合いは正比例しない(断言)

とはいえ、今の幸せ度合いが高いからと言って、未来の幸せが約束されているわけでもない。

いつか幸せになるんだと信じて、今の幸せを犠牲にするのもあんまりいいと思えない。

自己満足になってもいいから、人の幸せを願い、自分も楽しみながら、毎日を生きることが真だと強く感じる。

おはよう、こんにちは、こんばんは、いただきます、ごちそうさま、さようなら、おやすみが笑顔であることが大切だなと。

偉ぶるおっさんに媚び諂うことが決して処世術ではない

20年前にはじまり、10年くらい前までの話になりますが、僕のまわりには、家庭を省みない、いや奥さんを大切に思わない?1)家庭崩壊 2)別居 3)離婚 4)裁判 5)ゴシップのネタかのキーワードに関係する「起業家」と呼ばれる職業な人がたくさんいました笑

そんな起業家という職業に就く「センパイ」と呼ばれるモンスターに、彼らが大好きな西麻布やら広尾やら六本木の雰囲気だけで飯もまずく無駄に高い店に夜中2時に平気で呼び出され、昼夜が逆転どころか、24時間営業のコンビニで24時間働くより強烈な人生が、当たり前だ!可愛がってもらっているだけありがたく思えーなんて、説教されて…違和感しかなかった日々。

最後のほうに呼び出された飲み会で、ここは後輩が払うもんだとか言われて、数十万払ったことも…これがこの業界の常識だとか…(業界がそっち系の人って金払い悪い人もいるんですねー笑)

いま現時点での稼ぎや、偉ぶる立場よりも大切なものがあるはず。絶対。なんかおかしい、このおっさんたちっ。

そんな、酒と異性に溺れて群れる「起業家」のコミュニティに嫌気がさして、思いっきり距離を置いたら、あいつは可愛くない、わかってない、業界から消してやるとかまで言われ笑、まぁそれでもそんな無駄に華やかな環境に価値を感じなくなって、嫌になって、生き方を変えてみたのが10年前。

そっから体調も良くなって、業績もよくなって、なんか楽しく生きてきたこの10年。

起業家の全てがややこしい人ではなくて、ちゃんとしてる人にも気づき、起業家って素敵だなと思いなおしてみたり。

そして、そのころ今の奥さんとめぐり合い、家庭も築かせてもらって、本当にありがたい日々。

毎日が成長なやんちゃ真っ盛りな息子と、笑顔がどんどん可愛くなる娘にも恵まれ、本当にありがたい。

勇気とチャンスさえあるのであれば、起業することはいいことだし、自分自身のアイデンティティに逆らうことなく、リスペクトできる方とはつながりを大切にすることはもちろん大切。

でも、よくわからん、偉ぶるおっさんに媚び諂うことが決して処世術じゃないと、ワカイモンには伝えていこーと思う。

パッションだけでは、あかん。
そう僕は思います。