タッチおじさん(情報提供元)。
ネット上のアーカイブサイトに僕が富士通時代に担当してキャラクターのデータが残っていました。とっても懐かしいー。(それにしてもこのアーカイブサイトすごいなー)
1995年。阪神大震災、サリン事件という問題を経て、インターネット元年というわれる激動の年に
富士通株式会社 パーソナルビジネス本部 パーソナル販売推進統括部 販売店支援部
という部門に配属された籾倉は「業界新聞の切り抜き」という栄えある新卒業務からスタートし、様々な下っ端業務を経て、やっとこさ1996年の秋に先輩の藤田さん(現在のデスクパワーの商品企画課長)の業務ひっ迫を受け、店頭販促企画の王道キャラクターである「タッチおじさん」のブランドマネジャーを引き継がせて頂き、担当しておりました。まさに大きな会社ではまずありえない、ラッキー「棚ぼた人事」でしたねー。
商戦毎の予算確保、電通さんへの商戦戦略に合わせたオリエン策定(クリエイターである石井さんへの通達ですね) 、CM企画、その商戦に使う線画(キャラクターの絵)の企画、キャンペーン企画、グッズ作成、当時もっとも人気だった店頭配布の「パソコン入門ビデオ」、イベントの企画…などなど縦横無尽なその業務に忙殺され、マーケティング担当者としてとっても魅力的な仕事をさせてもらったことをよく覚えております。
そのあと…電気店の接待業務、2000年問題、売れないインタートップのチャネル担当、そしてルークスの初期企画、などなどあれやこれやで死にそうな状態に突入していくのですが、このタッチおじさんを担当したことは、僕の中で「ネクスゲート」を起業する際に必要な能力修練の場に間違いなくなっています。
年間十数億もの予算をこのタッチおじさんに使うのですが、スタンプラリーといって、その予算実行に必要な決済印は、なんとざっと15個。様々な部門の部門長への「ネゴシエート」は間違いなくこのスタンプラリーによって身につけてますね。大企業でもこういった部門に配属されると、アントレプレナーシップに必要な仕事の基礎を作ることができるのかもしれません。 🙂
あの時のスタッフ、みんなどうされているのかなーってちょっとセンチになりました…しかも僕の退職と同時にタッチおじさんもお役御免。感慨深いものを感じます… 🙁
ま、籾倉がこんなことをやっていたとはとびっくりした方は、 クリック&クリック2を宜しくお願い致します。