経済は人が働くことによって生まれる産物。
人が動かないのであれば、お金の流れが止まるのは至極当然のこと。
とにかく今は、その頭を使って働くことを考えなければならない。物理的に動かなくても頭は動くはず。
― 命があることの素晴らしさ
中国の意図的か人的ミスの究明はWHOと米国に任せることにして…、災害であるこの疫病に対し、被害妄想も手伝い、仮想敵国を立てて自己肯定に終始することは、それすなわち経済活動の停滞を意味する。
人は、大きな世界大戦で失った「かたちあるモノとコト」を、二度も乗り越え今を作った力強さを持っている。しかも戦争で失うものに比べると、被害は小さいはず。
今気づくべきは、自分が担っていた商売や仕事は、多くの人々が動いてくださっている「あたりまえの素晴らしさ」の前提に成り立っていたということに気づくこと。
確かに自分自身が苦労に苦労重ねて手に入れたものが、この災害によって失われたり、失うかもしれない。あたりまえが変わるんだから、しょうがない。
でも、命はある。
生きてるだけでまるもうけやで、ほんま(by 明石家さんま)
― 人の役に立ってこそ、人間
そう僕たちは命がある。
その命使って、その失ったものに対し、他責の念をもって文句をぶちまけるのではなく、その命あることを感謝し、この環境下で他己主義をもって「人に役立つ仕事を探す」ことが大切だと思う。
個人であれ企業であれ、補償や補助、融資で賄えるものは、そう長く続かない。そもそも国は自分たちが納めた税金で作られているものであり、その存在は絶対ではなし、有限であることに間違いはない。その現金は結局自分が働いて税金で返すか、自分たちの次の世代が借金として背負うかなだけ(あ、中国に請求できるといいね笑、今既に8か国から訴えられていて、総額は一京にものぼるとか…兆の上ね)。
前提として、疫病の行く末なんて誰にも見えないものだし、いつ終息するかなんて誰もわからない。医療の最前線の方に期待するしかないし、人間って、実はかなり凄いからなんとかなると思う。
僕らにできることは、人の幸せを願って、自分がそれに貢献できることを探し、それを実行することを急がないといけない。もう失ったものは帰っても返ってもこないし、文句ばかり言っていても始まらない。
― いまこそ大切なのは、感謝の気持ち
まさに見習うべきは、医療現場の方々薬品開発の最前線の方、公共事業などのライフラインに携わる方々は、その意志があるからこそ、不自由な中でも僕たちは命を繋いでいくことができていることに感謝しかない。そんな方々を批判してる人がいるなんて、まったくをもって信じられない。あほちゃうか?生きてる価値ないよ、ほんと。
もちろん政治の現場(あべちゃんやこいけちゃんはいまいちやが、吉村ちゃん熊ちゃんばんざい)、保健所をはじめとする役場、経済を数字で考える金融庁や日銀のすげー人々、子供たちの未来を考える学校現場の人々・・・みーーーーんなすごい。
相手の状況もしならないで、自分は間違っていないという前提で、マスクをしてないやら、やれマスクが小さいやら笑、こどもを公園で遊ばせるなやら、スーパーには一人で来るべきだとか、本当に辞めたほうがいい。時間の無駄。
そんなことしてる暇があるなら、経営者なら新しい商売を考えたほうがいいし、雇用されている身だったのであれば、自分の魅力を再発掘もしくは勉強し、この環境下でできる仕事を探すべき。
家にいるから、テレビばっかりみて、聞きかじった浅はかな知識で「にわか評論家」になってどうする?その自己実現になんの意味もない。マスコミが流す情報なんて、実際全体の情報量のほんと一部に過ぎないし…。
変えないといけないのは、自分自身の意志と言動。
政治や企業というよりも、命あることに感謝をし、この環境で役立てることを探し実行すること。それが商売となり、お金に変わり、経済を動かす。
やっぱり、この国をよくするのは、僕らひとりひとりの志にかかっているんじゃないかな。あたりまえが変わったことに悲観するのではなく、わりきって受け入れることにこそ意味があると思う。
明るく、元気に、前向きに。なんとかなるって、絶対!
Keep thinking & walking!