コロコロ倒産なんて言葉だけは広がって欲しくない。
振り向け先のないこの気持ち、2011年の東日本大震災の時を思い出す。
2007年に創業し、自分自身はそうではなかったが、まわりから見れば甘々な気持ちでスタートした合弁事業は瞬く間に厳しい環境に追い込まれた。未熟な僕は見通しも甘く、2008年にはリーマンショックもあり、中小ベンチャー企業市場へも影響は少なくないとう事実も認識しきれなかった。
まぁあたりまえだよな…大企業でのぬくぬくとした環境のマーケティングしかわからないのだから、うまくいくわけがない。でもそのおかげでドンドン心が鍛えられたのも事実。2009年に株主が入る分不相応なビルに別れを告げたが、膨らむ赤字、弱いビジネスモデル…そんな僕についてきてくれたメンバーも抱える中、残高50万円まで追い詰められた。
それでも、未踏な事業を産み出す志に呼応したメンバーたちにより、多くのお客様に支えられ、まだまだ累損を抱えているものの、事業が上向きになった矢先、日本が大きく揺れた。小さな企業の経営はいたずらに揺れる振り子のようだった。
当時、外出はできたけど外資系企業、上場企業の方々を中心に東京から離脱し、大阪や福岡に行かれてしまったことも記憶に新しい。外国からの駐在員の方々はあっという間に日本から帰ってしまった笑。多くのミーティング、商談、そして受注がトンだ。
(外出も本当はだめだったんじゃないか…メルトダウンは早い時期に起こっていたみたいだし、東京にかなりの放射能が降り注いだって人も最近になってちらほら、いまとなっては誰もわからない)
しかし歩みを止めることは企業の死を意味し、メンバー全員の生活の死にもつながる。あきらめるわけにはいかない。
様々な雑音を振り払い歩き続けた結果、その年の決算も、その次の年の決算も大きい数字はないが、増収増益を実現。ビジネスモデルもどんどん改善し、新規採用も順調に進捗。新しい仲間にも恵まれて、ここまで続けてくることができた。
ようはコロナをはじめとする外的要因は、誰にでも起こるゲームのボスキャラ登場のイベントのようなもので、乗り越えることにより強くなる、つまりレベルがあがるチャンスとして捉えたほうが正しいし、なにより楽しい笑。
時差通勤もやる。
時短もやる。
マスクも用意する。高いけど涙
アルコール、次亜塩素酸も用意する。高いけど涙
その徹底も促す。必要に応じてリモートワークももちろん導入する。
何よりも大事なのは、ルールを決めて、お互いに迷惑がかからないようにやる。
営業ラインは、スカイプ等での商談、リモートで受注するしくみを用意する。
企画やサポートラインも会社の電話を使わず、事業を推進できるしくみを考える。
開発ラインは、双方のコミュニケーションが切れないようお互いよく会話する。
政治をはじめとする誰かのせいにして、自分の動きを止めることはいちばんダメ。なんとかしないといけないという気持ちが自分自身を救うし、なによりも人のためにもなる。会社は仲間の集まりであり、ぶっちゃけ経営のものでも、株主のものでもない。自分が大切にしなきゃならに飯のタネであることを忘れてはいけない。社長や役員は役割であり、絶対的なえらい人なんてありえない。
そして、その上で、絶対にあきらめない気持ちがもっとも大切。あの時、あの場所であきらめていたら、いまの自分はない。
批判よりも行動。
それが一番大事かなと僕は考えます。
ま、今回のボスキャラも、しっかり乗り越えましょ笑