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ありがとうございました。
さて、今日はゆとり教育を受けた子供たち。今20歳の世代です。
友人と、食事をしていたときに話がでてきたのですが…。よく話題に上るこのネタですが、非常に憤りを感じる話だったりまします。すべてではないでしょうが、ゆとり教育世代の子供の傾向として、こんなケースがあるそうです。
母:ゲームばっかりしてないで、勉強をしなさい。
子:やだ。
母:だったら、1時間勉強したらゲームを1時間してもいいから。
子:わかった、だったら何もやらない。
母:もう、なにいってるの!
子:・・・。(無視)
なにもしない子供たちです…これは、まずいですね…。しかも大学は全入制に近付いている中、更にやる気が伴わないひどい子供たちが社会にでてくる可能性がありますよね…。これは、なんとかせねばらならいと心から思います。
文科省や教育委員会、先生がもつ課題ももちろんですが、一番のポイントは父権の復活。
心優しく強い父親が、厳しく、愛のこぶしをもって育てることがもっとも大事。
個人的な意見なのですが、私はこういう話自体に若干の抵抗を感じます。
「子供自体」は昔も今も何も変わっていないし、彼らが出来る範囲の中で一生懸命生きてると思うのです。子供は鏡であって、問題があるのはまず間違いなく親自体(や社会)という場合がほとんどなのではないかと考えています。今現在だってきちんとした親の子供はきちんとしていますし、だからこそ社会が成り立っていると思います。
まず親が楽しそうに生きていないのではないかと。親が楽しそうに生きていれば、趣味なり勉強なり仕事なり、そういった方向に必ず目が向くと思うのです。親が嫌々仕事に向かう、頑張っても報われないと嘆く。社会の閉塞感を圧迫しながら子供に押し付けてきているのではないかと。
勉強の先に何があるのかを伝える努力もしていないと思いますし、頑張っても報われない社会のニュースに相槌を打ってるだけなんじゃないでしょうか。
子供を見れば親がわかるというのは至言です。
いせとるさん
なるほどですね。おっしゃるとおりです。
その親の教育って、難しいですよね。
親自体が社会の中で「うつ」になっている場合、子供にはまったく罪はないが、影響を受けてしまう。その際に、僕らのできることはあるのでしょうかね・・・。
大切なことは、家族の環境を確認するしくみが必要かもしれませんね。いい意味での干渉ですかね。
心理学的に、3世代で同居している家族の家庭は、気遣いという意味でのバランスが程良くとれ、子供も魅力的な子供が育つ実験結果がでています。(同志社の心理学はそれを一時かなり追及していました)
つまり、親が子供を親に育てる。という儒教精神的な教えの連鎖環境の減少が、大きく影を落しているのかもしれませんね。
本来、学校は勉学を学ぶ場所であり、そもそも謙虚さなどに代表されるスタンスの矯正は本来家庭でなされたうえで、通うべきものですからね。
子供が非行に走るのは学校の問題、子供が自殺するのは先生の問題、いじめられているのを気づかないのも先生の問題…違いますね。そういう状況を生み出しているのはすべて親ですね。
そう考えるといせとるさん、「父の力(父権=威厳)」はやっぱり重要だと思いますが如何でしょうか?
最近私もよく考えることなのでもう一度だけ失礼します。
親の教育は必要で、でも本当に難しいですよね。親が鬱々としてるのは社会環境によるものでしょうから、簡単には解決できません。。大人になって学習を続ける人自体がほとんどいないとも言いますので、考え方としても難しそうです。親にも「良い意味でのマニュアル(教科書)」が必要な気がします。
そして上記の母子の会話で子供がどういう考えでそのような対応をしたのかが何となく見えた気がしました。
「勉強しろといったって、勉強のやり方もよくわからないし、ちゃんと学校に行ってるじゃないか。学校の勉強は社会に出てからあんまり役に立たないなんて話もあるし、日本の大人たちはそんなに幸せそうじゃない。やったら何か変わるの?勉強する意味は一体なんなの?お父さんは良い大学出てるけどいつも疲れたしか言わないし、休日は倒れてる。そんなに幸せそうじゃないしお金持ちでもないじゃないか。お母さんも子供の時そんなに勉強したの?というか学校の勉強って本当はやっても意味がないんじゃないか?やってもうちの親くらいなら、やらなくてもそんなに変わらないんじゃないの?」
「趣味のゲームを家で楽しんでいて何が悪いんだ?第一、1時間勉強したら1時間ゲームをしていいって一体なんだよ?友達との話題についていくのに必要だし、無価値(かも知れない)な勉強よりよっぽど有意義じゃないか。きちんと学校に行って帰ってきてゲームやってて何が悪いんだよ。自由時間じゃないか。人に意味の無いことを強制するなよ。俺は奴隷じゃない。」
「本当のところ、実はゲームがそこまで大好きというわけじゃないんだ。でも他に特に家で遊べるものもないし。親だってゴロゴロしてるだけで無趣味じゃないか。別に我慢して意味の無い勉強やってまでやりたいものじゃないから。なんかうるさいし、それなら両方やんない方がマシだよ。ま、親なんて無視して隠れてゲームしても同じ事だけどね。」
あくまで私の推測ですが・・・。母親の交渉の内容の無意味さが、親の普段の「勉強の先」を伝える努力不足を物語っている気がしてきました。
実は私も小学生の頃に中学受験を目指していました。その当時は「あんたらのために仕方なく勉強してやってんだぞ」と親に公言していました(苦笑)今はちょっと反省と大きく感謝はしてますが、やはり勉強の意味を親はきちんと教えてくれていなかったと思います。夏休みなのに毎日12時間塾に居る小学生・・・でした。。自分にもし子供が生まれたら、割と具体的な話ができるんじゃないかと考えています。それにもまだまだ勉強が必要そうですが。
長文失礼いたしました。
もみくらさん、ご対応ありがとうございます。
仕事の合間に?覗いております。
確かに流れを振り返ってみますと、結局のところ父権に集約されるのかも知れませんね。3世代同居の価値についても凄く納得できます。
後は「どういう父権なのか?」といった点だと思うのですが、「愛のこぶしで昔風に厳しくしつける父親」という意味合いであれば、私はやはり違和感を感じてしまうのです。時にはそれも必要だと思いますが・・・。
勉強や礼節の意味、人生のビジョン。それを示さない限り、勉強やしつけを強制しても余り子供の人生は開けない気がするのです。やはり父親自体がそれを体現している必要があり、厳しさだけではそれは子供に芽生えるものではありません。この矛盾の多い時代に、それでも父親が正しく人生を謳歌していて、そのバックボーンとして勉強や礼節が必要なんだと普段から普通に話をしてあげる。それだけで子供は感じ取って育ってくれるような気がします。
しかし父親の問題だとすると、それはそれでどう解決すべきなのかという気はしますね。。30代、40代男性の労働時間が長過ぎる事が最大の問題かも知れませんが。
いせとるさんとの議論は本当に勉強になります。ありがとうございます。
いろいろと、言葉の定義、語彙について、ちょっと思案してみました。
日曜の野球教室の監督をやっている大人や、スーパーでどなりちらす母親、感情的に怒る(おこる)親が最近多いように思います。子供には怒ることをしてはならないと語彙を振り返り、改めて認識しました。
つまりは…諭す(さとす)、叱る(しかる)という力をもった父親にならねばなりませんね。
諭したり、叱ったりするには、自分が相当な力を持たないと絶対にできるものではありません。自分の過去の経験や実績、昔の文献ももちろんですが、時事の動きを知らねば「譬え(たとえ)」ができないですからね。
子供とはいえ、別の人格をもった人間。その人に対する「愛情あふれた利他の心」をもって、厳しく育てることができる親。どうやったらできるのでしょうか。やはり三世代家族を「意図的」に作る必要があるのでしょうかね…。
それとも、ティーチングとコーチングを半ば強制的に学ばせる仕組みが必要なのでしょうか。むーん、それも無理がありますね。
社会的なしくみ=eco-systemにするには、政府そして行政、とくに地方行政の力がもっとも大切な気もしてきました。
て、ことは…行政=父権なんですかね(笑)?
こちらこそもみくらさんのお話で大いに触発されました。ありがとうございます。
やはり父親のレベルアップが必要というのが大きな結論の柱ですね。ただ、行政まで話を持っていくと一気に実現性が薄くなりますね・・・(笑
民間から何か出来ないのかという観点で考えると、うーん、なんでしょうか。
・「親としてのマニュアル本」をベストセラー作家に依頼して、とにかく簡単な内容で書かせる。更にそれを漫画化して周りの人に冊ずつ配る運動をする。
・時間術を流行らせて仕事を早く終われるようにし、父親を家に帰らせる。
・父親の趣味人生ももっと充実させるようなギアやスクールを多数用意する(ストレスも軽減?)
起き立ての変な話ですいません(汗
でも何か出来るような気も少ししてきました(笑